忘れられない人々&出来事        
                        
           
  

                                                     
 日夏もえ子


   2.梨本宮方子(まさこ)様 (李方子妃 イバンジャ) 
                                                
                    1901年11月4日~89年4月30日

      
                                                              

        
            
「垠殿下との婚約を新聞で知りました」     
                             1916(
大正5)8月5日

                                                     

李垠殿下と方子妃が暮らした
李王家邸

 ( 旧赤坂プリンスホテル )

 


                                         2015年6月記

  大磯の別邸にいた皇族・梨本宮家の長女方子は、李氏朝鮮のラストエンペラー・純宗(27)の異母弟で最後の王世子となる李垠殿下(イウン)と並ぶ婚約発表の自分の写真と記事を新聞でみて、驚いたと言われます。

 しかし、「日鮮融和の礎になるなら・・・」と垠殿下との結婚を決意されました。 
      (李方子著「流れのままに」啓佑社 昭和59)

   1920(
大正9)年4月28日に結婚し、翌21年8月18日に長男・晋殿下が誕生。
  
夫妻の喜びも束のまま、翌22年4月に朝鮮王朝儀式に晋を連れて参列したが、帰国直前に晋殿下が夭折するという悲しみに遭遇しました。

   
これには日韓双方の毒殺説が取り沙汰されています。

    1931(
昭和6)1220日に次男・玖(きゅう)が誕生。

    ここで、李垠殿下のことを少々・・・。
 大韓帝国の皇太子李垠は、1907年に伊藤博文に伴われて来日(実際は人質)1910(明治43)年の日韓併合により、王族として日本の皇族に準ずる待遇を受ける。 
 
  
翌年学習院に入学し、陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校で教育を受け、卒業後、大日本帝国陸軍学校に入り、陸軍中将に。
 
祖国を離れ、不遇の生活を余儀なくされましたが、方子様という賢く献身的な伴侶を得られ、お気持も時に安らぐものがあったかも知れません。

  
日本の敗戦により、夫妻は王侯族の身分を喪失し、邸宅・資産を売却しながら細々とした生活を送らざるを得なかったと言われます。

  
在日韓国人となった李垠は、大韓民国への帰国を願い出るが、初代大統領・李承晩が許可することはありませんでした。
  
王政復古の思想が芽生えるのを恐れたためとも伝えられています。

   1960(
昭和35)年に李垠は脳梗塞で倒れました。

 ようやく帰国を果たしたのは朴正煕大統領の計により19631122日であり、金浦空港よりソウル聖母病院に搬送され、李垠の意識は戻ることはありませんでした。

    1970(
昭和45)51日、李垠は聖母病院にて、日本に翻弄された人生の幕を閉じました(70)

  
方子は、1968年秋より漢南洞370号棟から昌徳宮楽善斎に移り住み晩年を送りましたが、その福祉活動には目覚ましいものがありました。
 (生活費は韓国政府から支出されていました)

   韓国に帰化した方子は、かつて夫と話し合った夢を実現するため、障害児教育(知的障害児・肢体不自由児)に取り組みました。

 趣味であった七宝焼の特技を生かし、ソウル七宝研究所を設立し、自作の七宝焼や書、絵画などを販売。

 
そして、米国ハワイ・サンフランシスコ・ロサンゼルス・オークランド・日本などを訪れ、バザーや李朝衣装発表会などを開催して資金を集め、知的障害児施設「明暉園」知的障害養護学校「慈恵学校」を設立しました。

   明暉は李垠の、慈恵は方子の雅号と言われています。

  
また、方子は敗戦により凄惨をなめた在韓日本人妻の集まり「芙蓉会」の初代名誉会長を勤めた。
   (
特に李承晩時代は、日本人の入国を認めず、残留日本人の帰還を進めたため、妻が日本人であることを隠す夫もあり、日本人妻たちには、冬の時代であったと言われます)

 方子妃は福祉活動の功績が認められ、1981(昭和56)年に「牡丹勲章」を韓国政府から授与された。

 1989(平成元年)430日 、ソウルで逝去されました(87)

 葬儀は準国葬として行われ、後に韓国政府から国民勲章槿賞(勲一等)を追贈された。

 方子妃のご陵は、ソウル郊外の李王家の墓陵・金谷陵に隣接する「英園」にあります。

 
朝鮮王朝の宮殿、昌徳宮内の方子妃の住まい楽善斎には、バザー用の作品などを作る奉仕室があったと言われます。

 そして、楽善斎の庭には、美しい多くの庭木が植えられていたと言われます。

 楽善斎を訪れる日韓の人々の中には、方子さまの生涯を偲び、その生き方に共鳴し、涙を流しながら立ち去る姿もみられます。


 

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